南北朝時代の僧、頼印(らいいん。1323年~1392年、上野国榛名山の執行職・座主職、鎌倉八幡宮の執行職を歴任)の伝記『頼印大僧正行状絵詞』に記された出来事。
応安元年3月15日の明け方に、院主(※頼印僧正)の枕にあやしい木の葉が1葉あった。これを取ってご覧になると、梛の葉である。人のお守りとしてかけるものでもあるので、熊野詣の者が落としでもしたのだろうかとお思いになって寺の中を訪ねられたところに、その儀ない間、権現より賜ったのであろうとお思いになって、熊野の曼荼羅に添え立てて奉った。
その後まもなく豪智法印が新熊野領安房国郡房荘の内東西両荘(82代相伝の地である)を、計画もなかったのに、同3年3月21日、院主に譲与し奉ったことは、まことに権現が先立って瑞兆をお示しになったのであろうと、いよいよ神慮もかたじけなく出会いの縁をもお喜びになったにちがいない。