鎌倉時代の僧、無住(1226年~1312年)が著した仏教説話集『雑談集(ぞうたんしゅう)』巻十に収められた「読経ノ徳ノ事并神徳」に梛の葉が登場します。
「読経ノ徳ノ事并神徳」は短い文章なので、全文を現代語訳してご紹介します。
さる文永の初めころか、たしかな年号は覚えておりません。大げさな嘘など言ったことがなかった人が目の当たりに見て物語りました。
千葉に千部の法華経を読誦し、熊野へも信心深く参詣して、ずいぶん浄行な僧がいたが、持経も廃れ、乱行不法に成り果てて、縁のある者の中で、手書して渡世していたが、天下に疫病が蔓延した年に、疫病にかかり重症となり、もう臨終だと見えたが、わずかに呼吸だけはしていた。
一両日中に死ぬようで、あきらめていたところ、ちょっと心地が出てきて、物は言えなかったが、墨と筆を乞う様子が見えたので、取らせたところ「我が身のことを早く申し上げたいが、舌もこわばって申し上げることができない」と書き付けて、人に知らせた。
「恐ろしげな、異類、異形の疫神どもが我を連れて、箱根のような山を越えるときに、十羅刹は妙法蓮華経と書いた旗をさし、熊野の金剛童子(こんごうどうじ:熊野神のひとつ)と思われるものが梛の葉を笠標(かさじるし:戦場で敵味方の識別のために兜に付ける目印)にして、疫神と戦って、我を取り返してくださると思われて、このように蘇生した。あまりに大事なことなので物を言われぬが、このことを早く申し上げたい」
と書いて、次第よくなって、乱行不法で読誦を怠ったことに如法慚愧の心があって、今だ心地は、ふるふるしくも(※?※)、見えなかったが、片言するように、法華経読誦したのを聞いた。
このように、たしかな僧が語りました。
熊野参詣の徳、法華経読誦の功は、それほどまでに不法であっても虚しくないこと、妙なる経のご利益、 神慮の徳、誰が仰がずにいられましょうか。
疫病にかかって臨終手前まで行った乱行不法の僧が、かつての読経と熊野参詣の功徳により快復したお話です。
熊野の金剛童子が梛の葉をかざして疫神と戦ってくれます。
梛の葉は金剛童子の変化身と考えられ、身につけた者を守護してくれるものとして、武士の笠標としても使われました。
元記事は「疫病にかかった僧にもたらされた熊野詣の功徳:熊野の説話」。