南方熊楠の「花さく庭木の話」より(『南方熊楠全集 第6巻』平凡社、236頁)。
畏くも白河法皇は前生に蓮華坊という沙門なりしが、熊野信心の法力で天子に再生あったと申すことで、百余度も詣でたまう。さて老後の御幸大儀とあって、都近く三山勧請の御志あり。その時、神の告げにわが住む所には必ずナギ生ずべし、これわが殿舎なり、と。よって諸処をみせしむるに、一夜のうちにナギ生えて大木となった地あり。そこに新熊野宮(いまくまののみや)をたて、洛の三山とて繁昌したが、応仁の兵火に衰えてしまった。
実際に新熊野宮を勧請したのは後白河院。後白河院の熊野御幸の回数は34回。白河院は9回。
元記事は「ナギについて:南方熊楠の随筆」。